旧久保彦助邸は、明治5(1872)年10月7日に発生した橋立大火で、屋敷前方と斜め後ろの蔵を除いて焼失したため、新築されました。明治6年に主屋の建築が始まり、同11年に完成しました。明治17年には裏に土蔵が建てられており、主屋と後ろの茶室、土蔵が連続して建築されたと考えられます。明治40年に、2階の座敷の造作がなされた後は、ほぼ増改築されておらず、建築当初の趣が今も残る貴重な北前船主邸です。敷地総面積は、1,038㎡ 家屋延床面積は、408.95㎡となっています。
橋立の北前船主邸の特徴である大広間、オエは22.5畳、天井は4.7m、柱はケヤキの7寸5分角(28.4cm)。天井は、スス竹が並べられた竹簀の子天井となっています。天窓の開閉には滑車が用いられ、左右に動く仕組みです。滑車は、船中の発想から取り入れられたと推測されています。オエの奥、左半分はデイ(客間)が3室(クチノマ、ナカノマ、オクノマ)、右半分はナンド(居間)が3室(クチナンド、ナカナンド、オクナンド)並びます。土蔵は3棟あり、玄関の左は米蔵、右側の廊下でつながる蔵は家具蔵、奥の蔵は文庫蔵でした。文庫蔵は総ヒノキ造りで、貴重品を入れていました。