明治2(1869)年生まれ、明治17年に家督を継ぎ、北前船経営と共に漁場経営も広範に行い、忠谷家の事業を拡大。明治37年、北前船経営を廃業し、汽船海運業と漁業を中心に事業を転換していきました。大正4(1915)年には同郷の北前船主・西出孫左衛門らと橋立村村会議員を務めています。大正10(1921)年、金沢で死去しました。
明治2(1869)年生まれ、明治17年に家督を継ぎ、北前船経営と共に漁場経営も広範に行い、忠谷家の事業を拡大。明治37年、北前船経営を廃業し、汽船海運業と漁業を中心に事業を転換していきました。大正4(1915)年には同郷の北前船主・西出孫左衛門らと橋立村村会議員を務めています。大正10(1921)年、金沢で死去しました。