橋立を代表する北前船主家の一つに増田又右衛門家があります。木村家はこの増田家の一族です。増田家も木村家も、かつては屋号を「桶屋」と称し、後に「大家家」と字を改めています。「増田」という姓は、弘化2(1847)年、大聖寺藩の財政に貢献したことで、藩主から賜ったものです。木村家では、これより先に、5代又兵衛が松前藩主から「木村」姓をもらっていました。
木村家に伝わる覚書によれば、5代又兵衛は「はじめ桶屋家に勤め通力丸の船頭となり、故ありて松前伊達家に船勤め、末廣丸の船頭たり、後に松前藩の御手船となるに及んで松前藩士に列し、木村姓を許さる。実に家声を興したまひ、中興とあがむ」と経緯を記しています。