大正11(1922)年、東京帝大理学部植物学科に入学した木村有香は勉学にいそしみました。兄素衛の手ほどきを受けたラテン語やドイツ語の上達は著しく、もう自由に読めるようになっており、まだ国内に紹介されることの少なかった外国文献を原書から吸収しました。
大正12年になると、卒業論文のテーマとして指導教官である早田文蔵教授から「ヤナギをやらないか」と薦められました。そこで、有香は中学時代から文通していた植物学の大御所、牧野富太郎先生の自宅を訪ねて意見を聞いてみました。牧野先生は「ヤナギは大したテーマだ。これはやったほうがよい、是非ともやってもらいたい。ただしヤナギというやつは実にイやなものだ。ヤナギは春から夏にかけて葉の形も大きさも変わるので、ついうっかりすると騙される。それでよほど用心しないといかん。君は10年か15年は就職しないで一生懸命全国を駆け回ってヤナギを集めなさい。それでヤナギが解ったと思ったら、君は学者として見込みがないよ」と答えた。
木村は「よし、そんなに難しいものなら一つやってやろう」という気持ちになりました。それからの有香は、ヤナギ一筋の研究に励むことになります。