明治33(1900)年3月、代々北前船主を家業とする木村家に生まれました。「有香」の名前は芭蕉の句に由来します。名前は、「わせの香や 分け入る右は 有磯海」が出典のようです。芭蕉が越中から加賀の国へ入る時、初秋で早稲が香る海辺の風景を写生した一句です。当時としては珍しく洗練された、粋な名前で、又平の学識の豊かさが感じられます。実際、有香の父又平は学問を好み、文筆をよくしました。
有香の生まれた時期、すでに木村家は北前船経営は不振となり、家運が傾きつつありました。又平は、難局にある事業を経営する商才がないことを悟って、船主を廃業し、家族とともに大阪に働きに出ることになりました。しかし、事業は失敗し、再び橋立に戻って先祖からの家屋敷を親戚に売り払い、妻きみの実家を買い入れ、明治33年(1900)年に大聖寺へ転居しました。大聖寺での暮らしも長くは続かず、明治40年、祖母美加は「これからは教育が大事な時代になる。孫たちに教育を受けさせよう」と京都へ引っ越すことになります。